セックスを楽しみ満足するには
勃起への不安・・
男性にはそもそも、「肝心なときに勃たないかもしれない」という根本的な抑圧が、常にある。
「セックスとは、勃ってこそなんぼ」、
「女を生かせてこそなんぼの世界だ」、
という男たちの認識があるのだろう。
勃起、挿入、射精という男主義の
セックスを、もっと変えていきたいという
女性はきっと多いはずだ。
もちろん、自分が勃起したら、女性の気持ちや体の高まりなどおかまいなしに、
自分本位に挿入し、自分だけ、がんがん動いて射精して終わり、という男性は論外だ。
女性を本当に満足させられてるのか?
そこには何のコミュニケーションもない。女性の体を使ったマスターベーションにすぎない。
そんな男に限って「女をイカせた」と豪語するものだが、おそらく女性は身も心もまったく満足してはないだろう。
だからこそ、いっそ挿入になどこだわらず、もっとふたりで「いちゃいちゃ」したい・・とか。
その方が、ずっと愛を感じられるなんていう女性は結構多い。
セックスを前戯、挿入、後戯で分けるとしたら、多くの女性たちが、前戯と、終わってからの語らいが好きだというのではないだろうか?
それは、結果的に、挿入時の男性の身勝手さの裏返しなのではないかという気もする。
因みに、挿入だけでオーガズムを得られるのは、全体の三割程度の女性にすぎないそうだ。
お互いに相手のセックスタイプを把握しよう!
以外の七割もの女性たちは、クリトリスを同時に刺激されることでオーガズムを得る。
あるいは挿入ではほとんど感じず、クリトリスを同時に刺激されるだけの方が感じるという女性たちも多いようだ。
男性、女性これは性別に関係なく双方にいえる事だが、ふたりのセックスを大事だと思うなら、
自分はどんなタイプなのか?
相手はどんなタイプなのか?
ともっとお互いにしっかり把握しておく必要があると思うのだ。
もっとも、女性の中には、
自分がどうされたら気持ちがいいかということさえ知らない人がかなりいる。
それでいて、「身勝手な挿入」を糾弾するのは当然筋が違う。
もちろん男が勃起しない、または勃起できない場合、
「身勝手な挿入」をしたくともできない訳だが、大切なことは一緒に楽しんで、快楽を得る方法はいくらでもあるはずなのだという事。
・・・・
ここを追及するべきなのだ。
たまには、こんな記事を読んで相手へのことを考えてみるのも良いかもしれない。
個人的には、男たるもの
「女をイカせてなんぼだ」「自分のペニスで女をイカせたい」
という考えには当然大賛成だ。
逆に、
その気持ちが男性から失われてしまうのは、本当に寂しいことだと思う。
女性を求めない男なんて、何かが歪になっていると思うのだ。
それは生物学的に考えてもおかしなことと言える。
結局、女性にもいろいろな性のタイプがいて、
挿入しないでいちゃいちゃする方が好きだったり、
前戯など短くてもいい、挿入時間が長い方がいい、という女性もいるわけだ。
そういった、相手の嗜好を理解し、
また、自分の嗜好を素直に伝え、素直に受け入れあえるのが、いい関係なのではないだろうか?
男と女は「暗黙の了解が大切」・・
一夜の関係に限らず、セックスは男がリードしなければいけない・・
という思い込みは 男女ともに、持っているようだ。
だがそもそも、男が言い出して女が承諾する、というのは、形式上のことではないのだろうか。
そのとき既に、女性は「勝負下着」を身につけていたりするのだから・・。
付き合っている仲であれば、そろそろ深い関係になるかどうかは、お互いの「暗黙の了解」があるはずだ。
それを見越して、女性はとっておきの下着を見につけてくるのだ。
だが、女性がその気でいるにも関わらず、男性が言い出せなかったら?
あるいは、
男性は、あと数回デートしてからと思っているのに、
女性はもうそろそろ深い関係になりたいと望んでいるとしたら?
そんなケースでは、女性から誘うしかないではないか女性としては何の意思表示もしないまま、結局家に帰ってから、
「彼が誘ってこないのは私に魅力がないからだろうか。」・・と悩んだり、
「食事のあとのお酒の席で、彼の太ももにそっと手を這わせてみればいい。」
「セックスしたいという意思表示は、言葉に頼らなくてもできる。」
「自分から意思表示するとなると、男に慣れた女なのではないか。」とか思われないか?
「欲求不満な女なのではないかと思われるかもしれない。」・・。とか、こんな事を考えるわけだ。
そして、もはや「何も知らない純情な女」を気取る必要があるのだろうか?
などと、女性雑誌などで、草食男子の攻略法のようなものが流行ってしまう・・。
男性も女性も年齢に関係なく価値観を磨いて魅力的になろう!
日本の男の幼稚さは、世界的にも有名だ。若い女性がもてはやされるのは、その顕著な例だろう。
ヨーロッパでは、男性が女性に年齢を聞くことはまずあり得ないという。
年齢などは恋愛基準には全く関係なく
「相手が何を考えているか」
「どういう人間か」
「自分にとってセックスアピールがあるかどうか」・・。が問題となると、ヨーロッパに住む知人だちは、口をそろえて言う。
だから男は生涯、「男」であり続けようと努力するし、女も、シワがあろうが肌がたるもうが、自分に自信をもって堂々と「女」であり続けている。
日本では、ある程度の年齢になったら、
「恋愛」や「色事」を引退しなくてはいけないような風潮がある。
わび、さび、枯れるということには日本的な美意識があるが、こと男女の関係においては、枯れる必要はないではないか。
男女が、男女であり続けないのは、成熟した社会ではないという気がしてならない。
日本男児なら特に、女性の気持ちがわかるエレガントなモテ男を目指して頑張ろう!